じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 歌舞伎座の思い出

<<   作成日時 : 2013/04/05 15:02   >>

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では「歌舞伎座の思い出」です。2006年6月に書いたものであります。

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木挽町の歌舞伎座へ初めて行ったのは、私の高校生活が終わる頃でした。昭和51年(1976年)の2月、卒業式の少し前のこと、夜行の高速バスを利用して東京へ向かいました。歌舞伎を見るためだけの目的で。

その頃、まだ弟子入りは決まっていませんでしたが、うちの師匠の楽屋へは始終出入りをしておりました。あるとき、まだ歌舞伎を見たことがないと私が言うと、

「歌舞伎や文楽は、落語と深い関係があるので見ておきなさい」

当時、師匠の一言は神の声でした。今の師匠の一言は……。ま、それなりに神の声です。一番多い神の声は、

「ジーやん、うちへ飲みにおいで」

べつに東京まで行け、と言われたわけではないけれども、私も元来が凝り性。この東京芝居見物は毎月欠かすことなく、内弟子になる11月まで計10回に及んだのでした。親戚の家に泊めてもらい、歌舞伎座と国立劇場、それに新橋演舞場や明治座(どちらも建物は先代)、寄席を見て回りました。

今は春闘ってあるのですか? 昭和51年はとんでもない春闘で4月に交通ゼネストがありました。国鉄や地下鉄がほとんど止まってしまい、道路は大渋滞。その晩、泊めてもらうことになっていた高円寺の従兄弟との待ち合わせに遅れること3時間。今と違って携帯もないから連絡もできずに会えずじまい。その晩は寝るところがなくて、一晩かかって東京駅まで歩きましたよ。その疲れで歌舞伎座の客席で熟睡。ああ、もったいない……。

当時、私は18歳です。若かったから体力はありました。夜行バスで朝、東京へ着くでしょ。歌舞伎座を昼夜見て、次の日のお昼は国立劇場、夜はホール落語会。で、そのまま夜行バスで京都へ帰ってくるというようなスケジュール。

今は歌舞伎座、昼夜見るだけでも無理です。いつだったか暮れの京都南座の顔見世、昼夜通しで見て、次の日お尻が筋肉痛……。唸ってましたね。

けど、本当に見ておいてよかったと思います。昭和の名優をたくさん見ました。幸四郎、松緑、勘三郎、みんな先代ですよ。女形では歌右衛門、梅幸。関西の名優は十三代目仁左衛門、二代目鴈治郎。こんなすごい顔ぶれを毎月、私は見下ろしていました。……あ、たいへん申し遅れましたが、私の指定席は3階席なのでした。おぼろげな記憶ですが、当時3階席の木戸銭は1,500円程度だったと思います。

今でも忘れられない舞台がたくさんありますが、一つ挙げるとしたら宇野信夫作、先代勘三郎主演の「巷談宵宮雨(こうだんよみやのあめ)」ですね。まさに引きずり込まれました。時間の経つのがわからなくなるほど。外へ出たら午後10時を回っててびっくりしました。まだ幕が開いて2日目だったので時間が延びたのでしょう。

その歌舞伎座へ一度だけ出演したことがあります。平成9年(1997年)9月のことです。「人間国宝・桂米朝の会」、要するに落語会なんですが、私は久々に師匠の前座を務めました。

前日までは歌舞伎の公演があったそうで、楽屋に座ってると劇場のスタッフが、

「この部屋は昨日まで播磨屋が使ってました」

エッ? 昨日まで吉右衛門さんが? 私が今、座ってるところにあの「鬼平」が座ってはったんですね。思わず正座してしまいました。うちの師匠の部屋は成田屋、団十郎さんの部屋やったそうです。蛍光灯に蜘蛛の巣が張ってました。「それがどうしたの?」と言われたらそれまでなんですが、なんかそんなことでもみんなと大騒ぎしてました。だって歌舞伎座なんですもの!

開演前、舞台チェックをしました。照明や音響、これはどこでもするんですが、この日は念入りにしつこいくらい。だって歌舞伎座なんですもの!
実際に座布団まで歩いてみました。座布団まで遠いの遠くないの。他と比べると舞台の間口が異常に広いのです。私はともかく米朝は大丈夫かな? 座布団へたどり着くまでに体力消耗しますよ。だって歌舞伎座なんですもの!

座布団に座ってまだお客さまが入ってない客席を見渡すと、さすがに芝居小屋としては最大級、大きいのなんの。2,000人は入るのですからこれはもう小屋ではありません。大屋ですな。だって歌舞伎座なんですもの!

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そんなこんなで出演者のテンションは上がりっぱなし。お客さまも満員。いい会になりました。

その歌舞伎座が建て替えになるという新聞記事が、昨年の秋に出ていました。バリアフリーの問題などいろいろあるそうですが、なんかもったいないような気がしますねえ。今度はどんな小屋になるのでしょう?

歌舞伎ファンのいろんな声が出ています。ネットを検索するだけでおもしろいほど出てきます。作家の丸谷才一先生が某A新聞に新しい歌舞伎座に対する要望を書いておられました。地下鉄から劇場へ直接入れるようにしてほしいとか、エレベーター、エスカレーターのこと、女性用お手洗いのこととか、大部屋俳優の楽屋のことまで細かく希望を述べられていて、さすがと感服いたしました。

でも私が一番に希望していることには触れられていませんでした。私の希望は3階席から花道が見えるようにしてほしい。これが一番なのです。ずっと安い席から歌舞伎を見ていた私にとって、歌舞伎座の3階は一番見にくい小屋でした。

南座でも大阪の松竹座でも、花道の一部、せり上がりのすっぽんのあるところ、つまり七三は3階席からよく見えます。でも歌舞伎座だけは見えないのです。七三での役者のしどころはたくさんあるのに何も見えない。声が聞こえるだけ。そのもどかしさから、3階席全体からため息が出ていることもあるのですよ。

3階席は大向こうの掛け声が飛ぶところ、一幕見を含めて本当に歌舞伎を愛する人が一杯いらっしゃいます。きっと私の願いは叶えてもらえますよね? それとも、いつも1等席でご覧になっている方にとってはどうでもいいことですか?

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
散りかけの桜を見てて思い出したワ、お客さんのメモやなんやでコメント43と盛り上がったのが懐かしおすねえ。

ちょいと、2006年のジーやんはん、
市川團十郎の團は「団」やなく「團」どす。ご本人も著書の中で強調してはったし、固有名詞、中でも人名は大事、團十郎と書いてあげておくれやす。
まあた変換ミスの話かいと思とうやすやろけど、今やこれ、高等な遊びどっせ。
こないだ新聞に載ってた話。医者が患者(20代会社員女性)に病気の説明書渡したら、彼女が医学用語やない普通の漢字を指し示し「漢字が難しい、私、メールのやりとりに使う程度の漢字しか読めないんです」と言うたんですと。
エライことになってきてる、ニホンはどうなるのだろうとセンセ嘆いてはりますの。他人事や無い、これからは、書いたモン渡してあるからと安心出来まへんね。

ほんに、ブロガーとコメントは有無相持ち。
折角、ジー赤栴檀がお気張りやしてるのやもの、根元に、
御存知アホコメとかぶらの葉ァあしろうとこか、ペンペン草の代わりくらいにはなりまっしゃろ。


千枚漬
2013/04/05 22:39
新しい歌舞伎座の3階から花道が見えるのはビッグニュースですね(笑)

私が歌舞伎座に初めて行った時、
芝居の最後の方で、入り口付近まで突然走って行く人が2,3人いて、
びっくりしていたら、
播磨屋さんの「熊谷陣屋」の「16年は一昔・・」の花道の場面になって、
座ってたら見えないから、立ったまま見てるんだ!とびっくりしましたもんね。
ため息、しちゃいますよね。

でも急勾配になって、舞台が遠くなったんですよね。豆粒なのかなあ。
見に行くときが楽しみです。
みさき
2013/04/06 12:11
花道が見えてほしいという願いは叶いました。3階席を愛する歌舞伎ファンは多いですもん。

急勾配になっても舞台が遠くなるということはないと思いますよ。他も条件は同じですから。そのうちに確かめに行きます。
ジーやん
URL
2013/04/07 11:27

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