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DAVID BOWIE is

2017/03/24 11:14
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ずっと行きたいと思ってた「デヴィッド・ボウイ大回顧展〜DAVID BOWIE is」に行ってきました。昨日のことです。

エリック・クラプトンのことばっかり言うてる私ですから「えっ?」と不審に思う方もあるでしょうね。これでも若い頃はいろいろ聴いてたんです。デヴィッド・ボウイは一時凝りまして、LPを買い漁りました。今、CDで持ってるのは少しだけですが……。

コンサートも行きました。1983年、「レッツ・ダンス」の頃。1回だけでも観ておいて本当に良かったと心から思います。あの時、一緒に行ったMさん、お元気ですか? うれ? Mさんではなくて、Kさんやったかな?

デヴィッド・ボウイは京都に住んでいたこともあるのです。しかもうちの近所。一ぺんも会いませんでしたが……。大好きな京津電車80系と一緒に写ってる写真が残ってますもん。……ということは各駅停車しか停まらない駅が最寄りの駅やったちゅうこっちゃね。東山三条、蹴上、九条山、日ノ岡……。

https://twitter.com/historyimg/status/817717270994567168?lang=ja

まだまだ若いと思っていたのに、昨年1月、いきなり飛び込んできたボウイの訃報。そして、すぐに春團治師匠の訃報と続いたので、ほんとがっかりしたものです。

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だから、このボウイ展に行きたかったんです。春團治展はまだですか? 米朝展は終わりました。

ヘッドフォンを着けて会場へ入りました。展示のブースごとにヘッドフォンからその曲やボウイの声が流れてくるんです。インタビュー、衣装の数々、歌詞を書いた自筆原稿等々、興味深く拝見いたしました。またLIVEが観たくなりました。うちにちょっとだけあるから観ようっと。

明日まで東京大井町にいます。ここのイトーヨーカドーはやっぱりええなあ。相変わらずのにしん塩焼と最近お気に入りになった分厚いハムカツ。にしんは久々に♀で数の子入りでした。

さあ、今日も一日頑張ろう。仕事はないけど……。

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ざこば兄さん(メルマガ・アーカイブス)

2017/03/22 08:05
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≪ざこば兄さん≫ 〜2017年3月20日付メルマガ巻頭エッセイより〜
                   ↑ 一昨日かい!!

最初に話をしたのはまだ弟子入りする前でした。もう「弟子にしてください」とは言うてましたが、首を縦には振ってくれず、諦めるという言葉を知らない私は、後の我が師匠、桂米朝の追っかけをしていたのです。

高校3年生の夏休み、ちょっと遠いところまで行きました。徳島と広島。どちらも桂米朝独演会。今から考えたら迷惑な話ですな。弟子入りしたいと考えてる人は真似をしないように。

もちろんまだ四国へは橋が架かっていない時代のこと。徳島へ私は飛行機で行きました。生まれて初めての空の旅でした。

楽屋へ挨拶に行ったら、師匠はじめ皆さんはびっくりしてはりました。そらそうでしょ。高校生が一人で徳島まで追いかけてきたんですから。楽屋には当時、朝丸のざこば兄さんが居てはりました。

「飛行機で来たんか。贅沢やなあ。僕ら船で来たのに」

そうなんや。私は師匠一行も飛行機やとばっかり思てました。

それから1年経って私は弟子入りが叶い、米朝一門の端くれに加えてもらいました。

うちの一門は、米紫(先代)、可朝、枝雀、ざこばと続いていますが、米紫、可朝のお二人は内弟子ではありません。米紫師匠は元々、漫才や腹話術から噺家への転身された方。可朝師匠は最初、三代目林家染丸師匠の弟子でした。ですから、子飼いの弟子は枝雀以下になる訳です。

そんな訳で、ざこば兄さんは米朝一門の二番目のお弟子さん、みんな兄弟ですから次男坊という感じですね。当時は桂枝雀全盛期で、ざこば兄さんも枝雀師匠のことを「兄ちゃん、兄ちゃん」と呼んで頼りにしてはりました。

あ、ここでちょっとお断りしておきます。私は桂枝雀を枝雀師匠と呼び、当時の桂朝丸を朝丸兄さんと呼んでました。今はざこば兄さんです。東京みたいに真打制度のない上方落語界、師匠と呼ぶか、兄さんと呼ぶか、難しいところなんです。

私も分からないので、一緒に内弟子として住んでいた兄弟子、千朝兄さんと米八兄さんに相談しました。「僕らもそう呼んでるから、それでええと思う」と言うてもらったのです。

でもこれは微妙なところで、私が入門した2ヶ月後に桂都丸(現塩鯛)君が朝丸兄さんに弟子入りして「師匠、師匠」と呼ぶようになりました。もし逆に都丸君が私より2ヶ月早く入門してたら、私は朝丸兄さんではなく朝丸師匠と呼んでいたでしょうね。今ならざこば師匠と。

その頃、私はうちの師匠にこんなことを言われたことがあります。

「お前は枝雀のことを師匠と呼んで、朝丸のことを兄さんと呼ぶなあ」

どっちも師匠と呼びなさい、と言われるのかと思いましたよ。ほなら、

「朝丸はそんなこと、なんにも気にしてへんで」

という訳で、ずっと「兄さん」と呼んでいる次第でございます。

話を戻します。朝丸兄さんは私よりちょうど10歳年上なので、当時はまだ20代でした。ちょっとやんちゃな兄貴という感じ。その後、二代目桂ざこばを襲名されて、どんどん大きな存在になっていきはりましたが、まだどこかにその雰囲気は残ってました。

それが変わったのが、枝雀師匠が亡くなった時。兄貴から親分になった……とでも言うか。とにかく「おとうと弟子のことは、俺が面倒見てやる」みたいな……。私は肌で感じました。

それはうちの師匠に対しても同じこと。前から大切にしてはりましたが、より一層「ちゃあちゃん、ちゃあちゃん」と大事にして、そして甘えてはりました。もちろんみんな、うちの師匠のことを好きですが、師匠とざこば兄さんの間柄には、他の弟子には太刀打ちできない何かがありました。

また師匠も「朝丸が内弟子の時にこんなことがあった、あんなことがあった」とよく言うてはりました。「弟子入りの時に長靴を持ってきたんは朝丸だけや」とか「野良犬を川から拾い上げて助けてやった」とか「朝丸が皮膚病になった時、わしが全身に薬を塗ってやった」とか……。やっぱり中卒で、15歳で弟子入りしてはりますから、特別な思いがあったのでしょう。

噺家としても大きなネタ、人情噺も積極的に手掛けて、次々と自分のものにしていきはりました。「一文笛」「子は鎹」「薮入り」「蜆売り」「らくだ」「文七元結」等々。(何か抜けてへんかな?)

ざこば兄さんに私が稽古してもらったネタは一つだけですが、今でもよくやらせてもらっています。それは「ろくろ首」。ずいぶん前ですが、録音を使わない口移しの稽古をしていただきました。

「お前、こうするねん、言うて直してやったら、ちゃんと次は直ってるなあ」

妙な誉め方をされたことを覚えてます。最後まで教えてもらった稽古の日の夜は「尼崎落語勉強会」でした。今は私が世話役になってる米朝一門の勉強会です。

「今晩、尼崎でネタ下ろしせえ」

こんなことを言われました。そんな無茶な、と思いましたが、嫌とは言えません。短い時間に何度もネタをくって「ろくろ首」をやらせてもらいました。横で聴いていて、

「良かった、良かった。おもろかった」

と言うてくれはった嬉しさは忘れません。今でも動楽亭昼席とか落語会で一緒になると、聴いてくれてはることがあるのですね。良かった時はきっちり誉めてくれはります。これは励みになります。私も見習って後輩を誉めましょう。誉めるのが難しい後輩もたくさん居てますが……。

そんなざこば兄さんも今年は古希です。私と同じ9月生まれですが、満70歳になりはります。ついでに言うと私が還暦。10歳違いですから。

めでたいなあ、と思てたら、もっとめでたいことがありました。芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しはったんです。嬉しい賞を貰いはりました。うちの師匠も同じ賞を貰うてはります。それだけに本当に私も嬉しいです。近頃、素直に嬉しいと思うことが少なくなりましたが、心から「良かったなあ」と思います。ざこば兄さん、本当におめでとうございます。

これからますます素晴らしい落語を聴かせてくれはることでしょう。個人的には今、よくやってはる「笠碁」が大好きです。男と男の友情にうるうるしながら聴いています。また聴きたいなあ。


☆追記☆ 2017/3/22

この前のメルマガ・アーカイブスは2年前のものでしたが、これは一昨日のメルマガです。ま、タイムリーな話題ですから。一人でも多くの人に読んでもらえたら嬉しいです。それだけ。

上の写真は米朝事務所のTwitterから無断でお借りしました。下の写真は2008年、祇園いまむらにて。桂米朝、茂山千之丞先生、茂山あきら夫人も一緒でした。これは私のデジカメ。

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桂米朝没後2周年記念セレモニー

2017/03/20 11:59
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昨日は師匠の命日でしたが、そんな日に師匠をしくじってしまいました。11時から始まる姫路の兵庫県立歴史博物館での「桂米朝没後2周年記念セレモニー」に遅刻したから。

はじめは電車で行くつもりでしたが、電車だと向こうで飲んで最終で帰ってくる恐れがあります。現に実績もあるし……。それも何回か……。今、直前に迫った「上方落語勉強会」での新作落語を覚えて、体に叩き込まなくてはいけない時期なんです(今時分に遅いなあという声も聞こえてきますが)。そんなこんなで車で出かけることにしました。

朝8時過ぎに家を出ました。連休の渋滞を考えて充分に早く出たつもりです。でも予想以上に渋滞は凄かった。名神から吹田ジャンクションで中国道へ。万博公園を過ぎた辺りからもう渋滞。

カーナビを見ると到着予想時刻は10時32分と出てます。これなら十分間に合うね。しかし、宝塚トンネルを越えて渋滞を通り抜けた時、その時刻は11時15分になってました。お前は全然予想でけてへんやないかい!!

大渋滞は私の膀胱も刺激していたようで、途中でトイレ駆け込み休憩をして、結局現地到着は11時20分。もうセレモニーは終わってた……。

みんなに「セレモニーて何したの?」と訊いたら、「噺家が一言ずつ挨拶した」ということでした。文之助兄さんには「お前の代わりに俺が挨拶することになったがな」とボヤかれてしまいました。文句は渋滞に言うてください。現場に行けただけまだましです。ざこば兄さんは「後の仕事があるから」とUターンして帰りはったんですから。

するべきことがなくなったので、バスでお墓参りに行きました。この日だけ博物館と、お墓のある名古山霊苑と、姫路駅の間にバスが走ったんです。なんと噺家のバスガイド付きで。私が乗ったガイドさんは桂しん吉君でした。もう1台のバスガイドは桂あさ吉君。こっちのガイドは何を言うかわからへん、と思たのは私だけではないでしょう。

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「桂米朝のお墓」の標識が出てました。「桂米朝」に小さく小さく「氏」と書いてあるのが分かりますか? ひょっとしたら「氏」は後から付け加えたんと違う?

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2回目のお墓参り。今回はこれを機会に近くへ宿替えしてきた中川家のお墓にもお参りしました。ご紹介が遅れましたが、うちの師匠の本名は中川清と言います。ここから桂米朝のお墓も少し見えます。木の間からちらっと見えるのが分かるかな?

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もう一度博物館へ戻って、展示を見て、米朝アンドロイドをちらっと見てから帰りました。帰りは姫路バイパスを通って。するとまた大渋滞。今度は事故での渋滞。しかも2ヶ所で。大きな事故ではなかったです。事故渋滞に遭遇した時は、イライラするより事故の当事者でなくてよかった、と思うことにしてます。

早く帰るつもりが、日が暮れてから我が家に到着。往復で6時間は運転してましたね。電車で行ったらよかった。
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大往生(メルマガ・アーカイブス)

2017/03/19 07:03
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≪大往生≫ 〜2015年4月19日付メルマガ巻頭エッセイより〜

早いもので我が師匠、桂米朝が旅立って今日でちょうど1ヶ月になります。

ここ数年、ずっと入退院を繰り返しておりました。「ひょっとして今度は家へ帰れないかも?」と私が思ったのは、去年の11月末に見舞った時でした。その少し前、11月6日の89歳の誕生日に会った時に比べて、痩せてはったし、表情にもあまり覇気がありませんでした。

そのまま良くなることはなく3月19日(木)午後7時41分、息を引き取りました。残念ながら私は臨終に間に合いませんでした(30分遅かったんです)が、苦しむこともなく、眠るがごとく大往生であったそうです。

素晴らしい人でした。大きい人でした。凄い人でした。厳しい人でした。でも優しい人でした。可愛い人でした。

私が桂米朝という噺家を初めて生で見たのは、たぶん小学校へ上がった頃であったと思います。昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年です。小さい頃から漫才や新喜劇などのお笑い好きの子どもでしたから、親が南座での演芸会に連れてくれたのです。ダイマル・ラケット、捨丸・春代、お浜・小浜、ラッパ・日佐丸、伸・ハワイ、それに横山ホットブラザーズ等々、錚々たる面々が出てはった漫才大会。そこに一人だけ、落語の桂米朝という人が出ていました。

漫才が好きな澤田(私の本名)少年は正直なところ、「なんや落語か」と思いました。けど桂米朝さんが出てきはった瞬間、「この人は好きやねん」と思たんです。いや、ほんまに。テレビで見て顔は知ってたんですね。噺の内容は覚えてませんが、小学校1年生は落語を楽しみました。賢い子やったんや。

澤田少年は中学に上がってからも漫才と新喜劇が好きで、何回か今はもうない京都花月劇場へ観に行っておりました。休みの日しか行けないので、当然日曜日。時々毎日放送で「吉本新喜劇」と「素人名人会」のテレビ中継がありました。同じ日に生放送が二つもあるのです。普段は梅田花月からの中継ですが、月に1回だけ京都花月からも放送があったのです。あの頃、新喜劇も生放送やったんですよ。すごいね。

その「素人名人会」に審査員で米朝さんは出てはりました。これは2回見た記憶があります。もちろんその時は審査員だけで落語は無し。

そして澤田少年は中学3年生になって落語に目覚めました。漫才より、新喜劇より、落語が好きになったのです。昭和47年(1972年)頃、関西は上方落語ブームで沸いておりました。ラジオではしょっちゅう上方落語が流れておりました。今となっては羨ましい時代でしたね。それに私も乗っかってしまったのです。それでも落語会に一人で出かけて行く勇気はありませんでした。

それを後押ししてくれた友達が居ました。中学卒業間近の昭和48年(1973年)3月のこと。今も続く京都市民寄席のチケットを取ってくれたのです。会場は、これも今はない京都会館第2ホール。松鶴、米朝、春團治という上方落語四天王のうち3人までが出演している豪華で超満員の落語会で、トリは桂米朝さんの「住吉駕籠」でした。これが凄かった。涙流して笑いました。あっという間の40分。落語の本当の面白さを知ったのはこの日でしたね。今までラジオで聴いて笑っていたのは、面白さのほんの一部分でしかなかったのです。落語は生が一番と思い知った瞬間でした。わたしゃ、まだ15歳。

高校に進学したものの、学業より落語会通いに熱心な澤田少年でした。落語への情熱、米朝さんへの愛は深まる一方で、昭和50年(1975年)7月、高校3年生の夏休みに、気がついたら私は桂米朝師匠に「弟子にしてください」とお願いに行っていたのです。

はじめは当然のごとく断られて、それからもしつこく楽屋へ通いつめて、とうとう米朝師匠から「うん」というお返事をいただき、昭和51年(1976年)11月、澤田少年は念願叶って弟子入りいたしました。最初にお願いに行ってから1年と4ヶ月もかかりましたが、桂米二という名前をもらって、それまで米朝師匠と呼んでいたのを、うちの師匠と呼ぶようになりました。

その日から38年と4ヶ月、最初に弟子入りをお願いしてからは40年近い歳月が流れて、とうとううちの師匠とお別れしました。師匠、ありがとうございました。長年、近いところに置いてもらって私は幸せでした。

弟子入りしたその日から、いや、弟子入りする前からも、いろんな話をしました。ありとあらゆる話をしました。実の親以上に語り合いました。親には言えないことも話しました。そして落語を教えてもらいました。飯の種を頂戴しました。それだけでなくありとあらゆることを教えていただきました。

落語に関しては本当に厳しくて、よく怒られたし、いい加減なやり方をしたら、許してくれないところもありましたね。ほんと怖かった。もうそない言われたネタはでけへんようになりましたがな。

「こんな難しいネタ、勝手にやりやがって」

それだけ厳しかったのに晩年はこんなことを言われました。「まめだ」をやらせてもらってますと私が言うた時です。

「やってくれ。どんどんやってくれ。おまはんらがやってくれなんだら困るねん」

若い頃とえらい違いや。けどそう言うてもろたんで、師匠、私「まめだ」はよくやらせてもらってますよ。秋の噺ですから季節限定ですけど。

昨年は創元社の「米朝落語全集・増補改訂版全8巻」の編集にも関わらせてもらいました。米團治君と二人で一生懸命やらせてもらいました。二人とも体調を崩しながらもなんとかやり遂げました。うちの師匠の「上方落語を後世にしっかりと伝えたい、残したい」という使命感というか執念を、私は肌で感じてましたから、ええ加減なことはしませんでしたよ。ちょっとは恩返しができたかしら。

あの夜、師匠が病院から武庫之荘の自宅へ帰りはった時、私も車で後を追うようについて行きましたが、もうマスコミが家の周りに取材に来ていまして、その数はどんどん増えて行きました。まだ発表してないのになんでわかるのか不思議でしたね。病院にスパイが居てたんかな? 私の自宅や携帯へも新聞社から電話は入ってくるし、ことの重大さがひしひしと伝わってきました。

米朝事務所からは「明日、記者会見するから今はなんにも言わんといてくれ」と言われてるし、取材の電話にも出られず、沈黙するしかありませんでした。

午後10時過ぎ、米朝事務所からマスコミ各社へFAXが送られたようです。直後にテレビでニュース速報が出たり、新聞の号外も出たそうですね。その時に思いました。ああ、来るべき時が来たんやな、と。

そのうちに病院には間に合わなかった他の弟子も集まってくる。人はどんどん増えていきました。私は車でしたから飲めませんでしたが、飲める連中は飲むし、はじめはシーンとしてた座が、師匠の想い出話でだんだん盛り上がって行きました。そんな時は必ず誰かが師匠をしくじった話が出るものです。そのうちに爆笑に次ぐ爆笑。その笑い声は、家を取り囲んでるマスコミの人たちにも届いたことでしょう。ほんと陽気な一座でした。きっと師匠の耳にも届いていたと思います。そして喜んでくれてはったと思います。じめじめしてるより、そのほうがいいですから。

師匠、大往生でしたね。人間国宝、文化功労者、文化勲章……。あらゆる名誉を手にしはりましたが、そんなことは鼻に掛けるでもなく自然体でした。我々弟子の誇りでありました。やるべきことはすべてやり遂げはりました。ご自分ではまだまだやりたかったこともあるとは思いますが、我々落語に携わる者にとっては充分過ぎるものを残してくれはりました。

師匠が一番苦労されたこと。戦後、噺家になることはなったが、先輩師匠連中は次々と亡くなって上方落語は滅びたと言われてしまう。東京落語の資料はあっても上方落語の資料はない。やりたいけどやれない状態でした。それをいろんな形で上方落語を復活して残してくれはって、我々がそんな苦労をしなくてもよいようにしてくれはりました。我々は「資料がない」と言わなくていいのですから。それも米朝一門だけでなく、誰でも触れることができるのです。ま、我々弟子はプラスアルファも教えてもらってますが。……ちょっと自慢するね。

お酒が好きな人でした。それも必ず日本酒。家にプレミアム焼酎「森伊蔵」が何本もあったのに見向きもしなかった。要らんのならくれ、と言うてもくれなんだ。

酒というと六代目笑福亭松鶴師匠のイメージが今でもありますが、なんのなんの。生涯に飲んだ酒の量はうちの師匠のほうがはるかに多いでしょう。

あれだけよく飲んでしゃべった人が、病状が進むにつれてだんだん飲めなくなって、しゃべれなくなってきましたが、私に最後にかけてくれた言葉はこれでした。

「また一緒に飲もうな」


☆追記☆ 2017/3/19

2年前、うちの大事な国宝、そして私の師匠である桂米朝が旅立ちました。その1ヶ月後に私が書いた追悼文です。メルマガを送っている皆さんには読んでいただいたはずです。

あれからまる2年。あっという間ですね。今日は三回忌。うちの師匠は神道なので、二年祭と言うらしいです。姫路の兵庫県立歴史博物館でいろいろとセレモニーがあります。私も参加します。お墓参りもしてきますね。

写真は最晩年に米朝宅で撮ったものと、2002年、文化功労者になった直後のツーショットです。

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大相撲春場所

2017/03/13 06:33
「勝ち越し亭@天満天神繁昌亭」「大津みゆき落語会@奏美ホール」と印象的な落語会が終わりました。ご来場いただいたお客様、ありがとうございました。ご来場いただけなかった他の方、残念でした。

「勝ち越し亭」では噺家も土俵入りをさせてもらいました。さすがにまわしは締めてませんが……。

打ち上げは繁昌亭の近所の中華料理「會元樓」さんで。食べ放題メニューに大砂嵐関はじめ力士を5人も連れて行ったので、お店は戦々恐々。どれだけ食べるねんと。けど噺家も食べまっせ。大嶽親方夫妻と初めて写真を撮りました。

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「大津みゆき落語会」は奏美ホールでは次回から会場が変わるので、ここでは最後でした。満席になりましたが、当日来られた方もなんとか入っていただけてホッとしました。「かわり目」ではいつもよりパワーアップ(サービス)して酔っぱらっちゃったからね。

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さて、昨日から始まった大相撲春場所。いきなり横綱白鵬が負ける荒れた春場所となりましたね。

今日は朝からゆっくり見せてもらいます。噺家5人&大嶽部屋大阪後援会会長の山田社長と一緒です。朝から見るのは数人だけですが……。

ここでクイズ。噺家は5人で行きます。そのメンバーは誰々でしょうか? あ、「勝ち越し亭」で答えを言うたようなもんですな。

間違いなくテレビに映る場所に我々は座るそうです。探してください。普段、テレビに出ない我々を。

今日はNHKで国会中継があるので、BSと地デジとごちゃ混ぜの放送みたいですね。ま、しっかり応援してきますわ。
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大津みゆき落語会

2017/03/11 15:38
今年も3月11日がやってきましたね。6年前のあの日は東京に居たので、あの強い揺れと帰宅難民は体験しました。怪我もなんにもしませんでしたが……。

劇団四季の「美女と野獣」を大井町の四季劇場[夏]で観ていて、揺れた後は予約していた新宿のホテルまで行けなくなり、結局、劇場に泊めてもらいました。劇団四季と大井町にはお世話になったのです。あの日のことは忘れられません。

さて、今年の3月です。明日は「大津みゆき落語会@奏美ホール」ですが、出演者が変更になりました。うちの弟子の二乗が二つ目で出演予定でしたが、ダブルブッキングで出られなくなりました。本人の不注意で同じ日、同じ時刻に始まる落語会を二つ引き受けてしまったのです。

もう一つは動楽亭昼席です。大津と大阪ではどう考えても掛け持ちは無理なので、向こうへ行かせることにしました。よそへ迷惑をかけるぐらいなら、私が迷惑を被ったほうがいいですから。

もうこれで3回目のダブルブッキングです。私が知っているだけで。他にまだ隠してるかもしれませんが……。

私が弟子に一番言い続けたことがあります。「同じ失敗を繰り返すな」です。3回目は論外です。本当に申し訳ありません。もう情けなくて情けなくて。

そんな訳で、吉の丞君が助けてくれることになりました。

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大津で始まったばかりの「大津みゆき落語会」ですが、奏美ホールは今回までで、次回からスカイプラザ浜大津へ宿替えすることになりました。「大津みゆき落語会」は奏美ホールが大津市御幸町にあるので付けた名前です。浜大津へ移って「みゆき」は変なので、次回からは名前も改めて「びわ湖浜大津寄席」です。

ご存じですか? 京阪電車大津線の駅名が変わることを。来年3月、四つの駅名が変わるのですが、その中の一つ「浜大津」が「びわ湖浜大津」になるのです。これは「四条」が「祇園四条」になったのと同じ流れですねえ。ま、ご意見はそれぞれございましょうが……。

それにあやかった次第です。でもそれは次回7月9日(日)から。とりあえずは明日の「大津みゆき落語会」をどうぞよろしく。

  ☆3月12日(日) 14:00 〜 (開場 13:30)
第2回大津みゆき落語会/(G)奏美ホール(椅子席)
 〒520-0057 滋賀県大津市御幸町6-9 TEL 077-524-2334
 京阪電鉄京津線「上栄町」東へ徒歩3分
 JR東海道本線「大津」北西へ徒歩7分
「金明竹」瑞 「米揚げ笊」吉の丞「かわり目」米二 「猫の忠信」米二 糸・絹代
前売・予約¥2,000 当日¥2,500 学生¥500(予約・当日とも)
前売券取扱所 大津市民会館、大津百町館、奏美ホール
問&予 TEL 080-8941-7211 江口 ※主に留守電
PCからのメール otsumiyukirakugokai@cielo.life.coocan.jp
携帯からのメール otsumiyukirakugokai@docomo.ne.jp
またはPCからのメール g-yan@yoneji.com 携帯からのメール yoneji.k-yoyaku.0906@ezweb.ne.jp
主催:大津みゆき落語会実行委員会  後援:大津市、京都新聞
 第2回です。私のルーツを遡ると滋賀県になります。
 その滋賀県での唯一のレギュラー落語会です。
 奏美ホールは音楽用のこぢんまりとしたホールです。
 二乗のスケジュール管理ミスで出演できなくなりました。
 弟子の不始末は師匠の責任、深くお詫び申し上げます。
 吉の丞君が代わって出てくれることになりました。
大津みゆき落語会ブログ

奏美ホール

奏美ホール地図


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勝ち越し亭

2017/03/09 13:09
遅くなりましたが、5日(日)の大嶽部屋激励会の様子をご紹介しましょう。場所は中華料理で有名な某大成閣。

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まず力士達が立礼で迎えてくれました。そういうと、私もこういう風に立礼で迎えたことがありました。2年前のうちの師匠の葬儀。……一緒にするべきものではありませんが、ふと思い出してしまいました。

仲間の噺家も何人か来るとは聞いてましたが、6人も来てるとは思わなんだ。私の他に三喬、銀瓶、ひろば、佐ん吉、慶治朗。

200名以上が集まったところで、我々噺家もお世話になってる大嶽部屋大阪後援会「大竜会」会長、山田社長と大嶽親方の挨拶、力士勢揃いでひとしきり盛り上がったところで乾杯となりました。

乾杯の発声が不肖、桂米二でした。「なんで?」と思たけど、ま、しゃべることを断ったら噺家(来てた噺家の中では私が一番古い)ではないので、しゃべらせてもらいました。何をしゃべったかについては主にこんなことでした。

http://jeeyan.at.webry.info/201303/index.html

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せんどしゃべってから「乾杯!!」。珍しい私のスーツ姿をご覧いただけましたか?

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しばらくして笑福亭三喬君の獅子舞。噺家の余芸とは思えない本格派。

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そして去年、入門したばかりの若い望月君が初めて丁髷を結う儀式がありました。有志がでこぴんをして祝儀を送りました。そんな習慣があったのですね。

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最後は銀ちゃんのお友達でもあるオオザカレンヂkeisukeさんが歌で盛り上げてくれました。みんな大騒ぎのうちお開きに。

この日はいろんなところでいろんな部屋の激励会があったようですが、たぶん一番面白かったと思いますわ。他は見てへんからわからへんけど、たぶんね。それにしても、この日集まった連中は、噺家もミュージシャンもお相撲さんもみんな仲がよろしい。力士の皆さん、勝ち越してや!

そんな願いで落語会にも名前がつきました。「勝ち越し亭」。ええ名前ですな。名づけ親は笑福亭三喬君であります。今夜、お待ちしております。

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不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)

2017/03/05 14:16
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もうずいぶん前になりますが、たまたま仕事で行ったお寺でこれを見つけました。「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」の石塔。落語「餅屋問答」でお馴染です。岐阜県中津川市の宗泉寺という禅寺でした。

この時、一緒に行ったのが桂まん我君。私が言いました。

「『餅屋問答』をやったらどう?」

彼の答えはこうでした。

「坊さんのこと、ボロクソに言いまっせ」

ほんにそうです。これはやめといたほうがええなあ、と私は思いましたが、まん我君は本当にやってしまいました。これがまた檀家さんによう受けたんです。お寺とは寛大なところなんですね。

その後、私も「餅屋問答」をやるようになりました。お寺でもやったことがあります。その時は、この問答の解説までしていただきました。どこのお寺もこんなに寛大なのでしょうか?

明日もお坊さん大歓迎です。どこの宗派でも。ご予約お待ちしております。また「ネットで見た」の暖かい一言でご予約料金2,000円にいたします。椅子席は必ず予約してくださいね。

  ☆3月6日(月) 19:00 〜 (開場 18:30)
第77回桂米二臨時停車の会/京都府立文化芸術会館3F和室(一部椅子席)
 河原町通・市バス「府立医大病院前」すぐ
 京阪「出町柳」or「神宮丸太町」徒歩12分 有料P有
 TEL (G)075-222-1046 (G)府立文化芸術会館
「桃太郎」慶治朗 「ちしゃ医者」雀五郎 「餅屋問答」米二 「寄合酒」米二 糸:千華
予約・案内葉書持参¥2,000 当日¥2,500 限定20席椅子席(予約のみ)¥2,200
☆学生¥500(予約・当日とも・座布団のみ)
問&予 TEL 080-5338-7331 桂米二予約センター(主に留守電)
PCからのメール g-yan@yoneji.com 携帯からのメール yoneji.k-yoyaku.0906@ezweb.ne.jp
 前回は時間の都合で三席に減らしましたが、今回は四席です。その代わり短い噺。
 一応予約制。米二手書き満載案内葉書を持参された方は2,000円で入場できますが、
 何かの間違いで満席になった場合は予約された方が優先入場です。
京都府立文化芸術会館

京都府立文化芸術会館地図

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最後に宗泉寺さんの近所、四ツ目川の桜を見ていただきましょう。ほんとにええ時期に行かせてもらいました。

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大嶽部屋激励落語会

2017/03/04 11:41
今年も大嶽部屋の稽古を見学してきました。一昨日2日のことです。ちょうど1年前、去年の春場所の前に稽古を見せてもらって、11月の九州場所の前に見せてもらったので、稽古見学は3回目です。やっぱり落語の稽古とは違い過ぎる。当たり前やけど。

まだ今場所の稽古は始まったばかりなので、初日直前の稽古に比べたら軽いらしいですが、なんのなんの。目の前であの大きな体と体がぶつかる音は凄いですよ。時々、頭と頭もゴチンとぶつかってます。……痛そう。でも誰も「痛い」なんて言いません。砂だらけになっても食らいついて行く闘志には、いつもながら恐れ入ってしまいます。

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稽古場の写真は激しい稽古が済んで、四股を踏んでいるところです。クールダウンですね。

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そんなガチンコの稽古の後は穏やかにちゃんこをいただきました。去年、大嶽親方に聞いたことを繰り返します。

「ちゃん(父)と子どもが一緒になって食べるから、ちゃんこと言うのです」

我々噺家の子弟関係と通じるものがあります。私らはいつもそこに「酒」が付いてますが……。

ちゃんこになると稽古の雰囲気とはがらっと変わって、ずっとみんな笑ってます。お相撲さんの白い歯も素敵です。大きな手でビールをついでくれはります。ビールもちゃんこも美味しくいただきました。

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そんな大嶽部屋を我々噺家ごときが激励するなんておこがましいのですが、繁昌亭で激励落語会をやります。

  ☆3月9日(木) 18:30 〜 (開場 18:00)
勝ち越し亭〜大相撲春場所・大嶽部屋激励落語会〜/(G)天満天神繁昌亭(椅子席)
 地下鉄「南森町」4-B出口・JR東西線「大阪天満宮」JR3出口 3分
演目当日 佐ん吉 ひろば 三喬 銀瓶 米二 力士参加も有り!?  糸:律子
前売・予約¥3,000 当日¥3,500 大学・高校生¥2,500 小中学生¥2,000
全席指定 好評発売&予約受付中!!
ぴあ 0570-02-9999 Pコード 597-700 TEL (G)06-6352-4874 繁昌亭窓口
問&予 TEL 080-5338-7331 桂米二予約センター(主に留守電)
PCからのメール g-yan@yoneji.com 携帯からのメール yoneji.k-yoyaku.0906@ezweb.ne.jp
 11月に九州部屋の大嶽部屋応援落語会を福岡でやりました。
 これを繁昌亭でやらない手はありません。
 Pコード(597-700)は天満天神繁昌亭の公演全部が対象です。
 3月9日(木)6:00PMをご指名ください。
大鵬道場大嶽部屋

天満天神繁昌亭

天満天神繁昌亭地図

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1階席のチケットがまだ少し手元にあります。お気軽にメールをくださいね。

さ〜て、大砂嵐関は大喜利に参加するのか? お相撲さんが大喜利に出ること自体珍しいのに、しかもエジプト人!

そうそう、またそのうちに東京でもやりすよ。
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