じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 桂米朝と「たちぎれ線香」(メルマガ・アーカイブス)

<<   作成日時 : 2018/03/20 07:39   >>

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ずっと昔からうちの師匠、桂米朝の最高傑作は「たちぎれ線香」と「百年目」と言われてきました。どちらがいいかは意見の分かれるところでもあり、甲乙つけるべきものでもないように思います。弟子にも「たちぎれ派」と「百年目派」があって、これは自分ならどちらをやりたいか、ということなんですが……。

それで言うと、私は「百年目」でして、若干32歳(今60歳)で初演いたしました。もちろん師匠に稽古してもらってます。大勢の弟子の中で最初に手がけたのは私だったのです。どないや? 出来がどうのこうのというのは置いといて……。

「たちぎれ」の初演は45歳(今は60歳と6ヶ月)になってからでした。もうやらないでおこうかと考えたこともありましたが、桂米朝の傑作を弟子としてはやっぱりやってみたかった。もう一つ言うと、演出を変えてやる人もあるので、私は師匠のものをそのまま受け継いで伝えたかったということもあります。それと主人公は若旦那なんだから、私自身が老けないうちに……これはもう手遅れでしたが。

この「たちぎれ」をうちの師匠がこれまでに何回ぐらいやってきたか? はっきりとしたことはわかりませんが、私の思うのには100回近くやってはるのではないかと。ま、すごい数であることには違いないです。「たちぎれ」を100回ですよ。「動物園」や「子ほめ」を100回と違いますよ。

もう30数年前のことですが、うちの師匠が正月のサンケイホール「桂米朝独演会」で、3日間連続で「たちぎれ」をやりました。私も舞台袖で3日間すべて聴かせてもらいました。ゾクゾクし通し、至福の40分でした。

最終日の打ち上げパーティーで、この「たちぎれ」は絶賛の嵐でした。皆さん、それだけ感激されたということなんでしょう。

あの頃、大阪で師匠と一緒に飲んだ時、タクシーで帰る師匠を見送ろうと立っている私を、無理やりタクシーに引きずり込み、拉致されるように武庫之荘のお宅まで連行されることがよくありました。そして京都までの終電がなくなった頃にこう言うのです。

「ところでお前、今晩どないするねん?」

そんなもん泊めてもらわなしょうがないがな。

その晩も武庫之荘の師匠宅まで拉致されてしまい、泊めてもらうことになりました。結局、寝酒の相手なんです。寝床に入った師匠は、そばに座ってまだ酒を飲んでる私に向かってボソッとこんなことを言いました。

「わし、今日えらいみんなから『たちぎれ』のことを誉めてもろたけど、わし自身は昨日のほうが出来は良かったように思う……」

どう答えようかとちょっと迷いましたが、正直に言いました。

「私もそう思います。3日間とも全部聴かせてもらいましたが、昨日だけなんです。舞台袖でボロボロ泣いたんは……」

そう言うと、ニコッと笑って「そうか」とだけおっしゃいました。人間国宝のうちの師匠でも、いつもいつも自分で納得ができる出来……という訳ではなかったのでしょう。でもその1986年1月3日の「たちぎれ線香」はそれはそれは素晴らしい鳥肌物でした。でもそれはその場に居た人、その日のお客様しか知らないんです。所詮は落語って消えて行く芸ですから。

上方落語には東京落語のいわゆる人情噺はありません。この「たちぎれ」はサゲがある落とし噺ですが、立派な人情噺だと思います。なんというても美しいラブ・ストーリーです。ラブ・ストーリーが嫌いな人はいないでしょう。

久しぶりに私も「たちぎれ」をやってみたくなりました。この秋にやってみましょうか。ひっそりと。


《桂米朝と「たちぎれ線香」》 〜2014年12月31日付メルマガ巻頭エッセイより〜

私の年齢と状況は2018年3月現在に修正しています。

最初の写真は1994年8月30日、サンケイホールの楽屋。1994年8月30日

あとの写真の人形二つ。右は米朝人形。よく似てます。左は小米朝人形。米團治君が小米朝になる前から小米朝と呼ばれてました。博打の守り神です。夫婦で花札をやってはる時、いつも傍に置いてありました。もちろん花札はママのほうが強くて、ママが勝った日は夕食のおかずが豪華になりました。


☆追記☆ 2018/03/20

昨日は師匠の命日でした。まる3年。武庫之荘の師匠のお宅へ久しぶりに伺って、献杯してきました。ま、ただただ飲んでただけですが……。

実は、うちの師匠が亡くなる2ヶ月前に一度、危篤になったことがありました。その日はうちの兄弟子の桂米八兄さん(この方も若死にでした)のお通夜の日でした。一度、本当に危なかったのに、何故かそこから息を吹き返し、そのあと2ヶ月生き延びたのでした。別に延命措置をした訳ではないのに。

昨日、その話をしていたら団朝君がこう言いました。

「米八兄さんが『師匠、まだこっちへ来たらあきません』と止めはったんですなあ。兄さんの最後の親孝行やと思いましたで」

それを聞いた私が、

「ひょっとして、最初の親孝行と違うか?」

また要らんことを言うてしまいました。爆笑になったけど。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
いつ読んでも、米朝師匠の話は泣けてしまいます。米朝師匠と米二師匠の為人が偲ばれて。
田舎から関西に出てきて、関西弁を覚えるためと、好きの両方でホンマにレコードよく聞きました。
30過ぎで、妻をガンで亡くして、「小糸、すまんかったなあ。」で、何度車の中で泣いたことか。
なんとか、米二師匠の落語を生で聞くように頑張ります。
taka-me
2018/03/21 16:54
うちの師匠が後世の落語ファンと我々噺家のために残してくれたレコード、CD、DVDがたくさんあります。買ってくださいね。今はYouTubeでなんぼでも聞けますが……。

そしてたまには我々生きてる噺家を聴きに来てやってください。
じーやん
2018/04/11 02:51
遅ればせながらちょっとおじゃまします。私には米朝さんと米二さんの姿が
重なって見えます。昔からそう思っていました。
私は昔、金毘羅さんの落語会で米朝さんから手拭いをいただきました。
ブログにそのことを書きました。私のブログの、テーマ手拭いから
[大事な手拭い]を読んでいただけたら嬉しいのですが。ずうずうしい
事言ってすみません。今日は、枝雀さんの事を書きました。
米朝さん、枝雀さん、あらためてご冥福をお祈りいたします。


かかと
2018/04/19 14:05

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