京男二人会
「自分も京都?」
桂米二が桂塩鯛に初めてかけた言葉がこれです。今から41年ほど前の話。私はもう桂米二でしたが、彼はまだ本名の山下眞史君でした。時は1976年(昭和51年)の年末、私は弟子入りしてまだ1ヶ月余り。場所は落語会で訪れた三重県四日市市……だったと記憶しております。
山下君は、桂米朝の下へ弟子志願に行き、私の入門が決まっていたので断られ、桂枝雀の下へ弟子志願に行き、桂雀々の入門が決まっていたので断られ、桂米朝の勧めもあって、当時の桂朝丸、後の桂ざこば師匠の下へ弟子志願に行っていたのでした。
年が明けて、1976年1月3日の夜。正月恒例、サンケイホールでの「桂米朝独演会」が終わって、打ち上げも終わり、武庫之荘の米朝宅へ帰宅し、師匠が寝床へ入られた頃のこと。
電話のベルが鳴りました。当然のことながら携帯ではなくて、米朝家の黒電話です。内弟子である私が出たところ、相手は朝丸兄さんでした。
「師匠に話があるから今から行くわ」
わかりましたと電話を切って、千朝兄さんに話をしたら、「もう遅いし、休んではるんやから、断らないかんで」と怒られてしまいました。でも朝丸兄さんは来られました。一人の男を連れて。誰かと思たら、あの山下眞史君でした。
ここからはあとで聞いた話です。桂米朝の部屋には、うちの師匠が布団の中、朝丸兄さんと山下君が布団の側に座ってます。
「師匠、こいつを弟子にせえ、と言いはりましたが、僕が弟子を取るのはまだ早いです。どうか、こいつを師匠の弟子にしてやってください」
「いや朝丸、お前の弟子にしなさい。弟子を取ることで、お前も変わってくる。自分のためにもなるんや」
「けど、落語の稽古はようしませんわ」
「いや、落語はわしが教えたる。お前は教えたらあかん」
とまで言うたかどうかは知りませんが、とにかくこれで入門が決まり、桂都丸君が誕生しました。今の桂塩鯛さんです。私より1ヶ月半ほど遅れて噺家となりました。
そんな京男、同期の二人会が明日です。彼は山科生まれの私を京男とは思っていないようですが……。塩鯛さんは立派な洛中出身です。私は今でも洛外の男……。
☆1月27日(土) 18:00 ~ (開場 17:30)
第10回米二・塩鯛二人会/(G)天満天神繁昌亭(椅子席)
地下鉄「南森町」4-B出口・JR東西線「大阪天満宮」JR3出口 3分
オープニングトーク「寄合酒」米二 小佐田定雄作「貧乏神」塩鯛
「骨つり」米二 「蜆売り」塩鯛 糸:美紀
前売¥3,000 当日¥3,500 ユース(25歳以下・要年齢証明)¥2,000 全席指定
問&予 TEL 080-5338-7331 桂米二予約センター(主に留守電)
PCからのメール g-yan@yoneji.com 携帯からのメール yoneji.k-yoyaku.0906@ezweb.ne.jp
主催・お問い合せ TEL 06-6365-8281 米朝事務所 TEL 06-6352-4874 繁昌亭窓口
もう10回目の開催になる同期会。今回もトークが付きます。
久しぶりに繁昌亭で土曜日の夜公演です。
桂塩鯛
天満天神繁昌亭
天満天神繁昌亭地図
チケットお取りします。ご予約メールお待ちしております。時間の都合等で予約できなかった方は、受付でさわやかに「ブログを見た」とおっしゃってください。前売料金にさせていただきます。
この記事へのコメント
今度の土曜日に行こうと思って、カレンダーを見たところ、今日は1月29日。先週の土曜日のお話でした。