桂吉朝命日

桂米朝誕生日の2日後の11月8日は桂吉朝兄さんの命日。15年前に亡くなりました。51歳になる直前に。
朝から某A新聞の某記者から電話があり、こんなことを言われました。
「吉朝さんが亡くなったそうで」
危篤なのは知ってましたが、そんなことは初耳です。
「それは知りません。聞いてないです」
「いいえ、亡くなってるはずです。なんで隠すんですか?」
「隠すにもなんにも、私はほんまに知りません」
「そんなことはないはずです」
「知りません」
これの繰り返し。本当にまだ聞いてなかったんですから。もう腹が立ってきて、電話を一方的に切りました。それから1時間以上経って、米朝事務所から「亡くなった」と電話がありました。
その記者がなんで知ったのか? 米朝事務所からの知らせがなんで遅れたのか? いまだに謎であります。
マスコミへの不信はまだあります。今から5年前の3月19日、うちの師匠が亡くなった時です。あっという間に知り合いの新聞記者から電話が入りました。携帯が鳴りっぱなし。出ませんでした。だってもうすぐ正式に米朝事務所から発表があるのですから。
あれは病院にスパイが居たのに違いないと睨んでます。病院のスタッフに「何かあったら教えて」と鼻薬をきかせていたに違いありません。
人が死んだことを報道するのが一刻を争いますか? 師匠が死んだ悲しみより、何かやるせない思いが先に立ちました。
吉朝兄さんの秘蔵の写真があります。サンケイホールでの「怪談市川堤」のリハーサルの時の写真。幽霊は藤間流の藤間紫雀師匠です。うちの師匠の時も幽霊をしてはりましたね。それにしても私、よくこんな写真を撮ってました。初公開。

今週末の11月14日は私の入門記念日。この日は毎年「米二・染二ふたり会」です。只今「金明竹」ネタ下ろしで苦しんでおります。まだ余裕がございます。ご予約お待ちしております。
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