じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 大往生(メルマガ・アーカイブス)

<<   作成日時 : 2017/03/19 07:03   >>

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≪大往生≫ 〜2015年4月19日付メルマガ巻頭エッセイより〜

早いもので我が師匠、桂米朝が旅立って今日でちょうど1ヶ月になります。

ここ数年、ずっと入退院を繰り返しておりました。「ひょっとして今度は家へ帰れないかも?」と私が思ったのは、去年の11月末に見舞った時でした。その少し前、11月6日の89歳の誕生日に会った時に比べて、痩せてはったし、表情にもあまり覇気がありませんでした。

そのまま良くなることはなく3月19日(木)午後7時41分、息を引き取りました。残念ながら私は臨終に間に合いませんでした(30分遅かったんです)が、苦しむこともなく、眠るがごとく大往生であったそうです。

素晴らしい人でした。大きい人でした。凄い人でした。厳しい人でした。でも優しい人でした。可愛い人でした。

私が桂米朝という噺家を初めて生で見たのは、たぶん小学校へ上がった頃であったと思います。昭和39年(1964年)、東京オリンピックの年です。小さい頃から漫才や新喜劇などのお笑い好きの子どもでしたから、親が南座での演芸会に連れてくれたのです。ダイマル・ラケット、捨丸・春代、お浜・小浜、ラッパ・日佐丸、伸・ハワイ、それに横山ホットブラザーズ等々、錚々たる面々が出てはった漫才大会。そこに一人だけ、落語の桂米朝という人が出ていました。

漫才が好きな澤田(私の本名)少年は正直なところ、「なんや落語か」と思いました。けど桂米朝さんが出てきはった瞬間、「この人は好きやねん」と思たんです。いや、ほんまに。テレビで見て顔は知ってたんですね。噺の内容は覚えてませんが、小学校1年生は落語を楽しみました。賢い子やったんや。

澤田少年は中学に上がってからも漫才と新喜劇が好きで、何回か今はもうない京都花月劇場へ観に行っておりました。休みの日しか行けないので、当然日曜日。時々毎日放送で「吉本新喜劇」と「素人名人会」のテレビ中継がありました。同じ日に生放送が二つもあるのです。普段は梅田花月からの中継ですが、月に1回だけ京都花月からも放送があったのです。あの頃、新喜劇も生放送やったんですよ。すごいね。

その「素人名人会」に審査員で米朝さんは出てはりました。これは2回見た記憶があります。もちろんその時は審査員だけで落語は無し。

そして澤田少年は中学3年生になって落語に目覚めました。漫才より、新喜劇より、落語が好きになったのです。昭和47年(1972年)頃、関西は上方落語ブームで沸いておりました。ラジオではしょっちゅう上方落語が流れておりました。今となっては羨ましい時代でしたね。それに私も乗っかってしまったのです。それでも落語会に一人で出かけて行く勇気はありませんでした。

それを後押ししてくれた友達が居ました。中学卒業間近の昭和48年(1973年)3月のこと。今も続く京都市民寄席のチケットを取ってくれたのです。会場は、これも今はない京都会館第2ホール。松鶴、米朝、春團治という上方落語四天王のうち3人までが出演している豪華で超満員の落語会で、トリは桂米朝さんの「住吉駕籠」でした。これが凄かった。涙流して笑いました。あっという間の40分。落語の本当の面白さを知ったのはこの日でしたね。今までラジオで聴いて笑っていたのは、面白さのほんの一部分でしかなかったのです。落語は生が一番と思い知った瞬間でした。わたしゃ、まだ15歳。

高校に進学したものの、学業より落語会通いに熱心な澤田少年でした。落語への情熱、米朝さんへの愛は深まる一方で、昭和50年(1975年)7月、高校3年生の夏休みに、気がついたら私は桂米朝師匠に「弟子にしてください」とお願いに行っていたのです。

はじめは当然のごとく断られて、それからもしつこく楽屋へ通いつめて、とうとう米朝師匠から「うん」というお返事をいただき、昭和51年(1976年)11月、澤田少年は念願叶って弟子入りいたしました。最初にお願いに行ってから1年と4ヶ月もかかりましたが、桂米二という名前をもらって、それまで米朝師匠と呼んでいたのを、うちの師匠と呼ぶようになりました。

その日から38年と4ヶ月、最初に弟子入りをお願いしてからは40年近い歳月が流れて、とうとううちの師匠とお別れしました。師匠、ありがとうございました。長年、近いところに置いてもらって私は幸せでした。

弟子入りしたその日から、いや、弟子入りする前からも、いろんな話をしました。ありとあらゆる話をしました。実の親以上に語り合いました。親には言えないことも話しました。そして落語を教えてもらいました。飯の種を頂戴しました。それだけでなくありとあらゆることを教えていただきました。

落語に関しては本当に厳しくて、よく怒られたし、いい加減なやり方をしたら、許してくれないところもありましたね。ほんと怖かった。もうそない言われたネタはでけへんようになりましたがな。

「こんな難しいネタ、勝手にやりやがって」

それだけ厳しかったのに晩年はこんなことを言われました。「まめだ」をやらせてもらってますと私が言うた時です。

「やってくれ。どんどんやってくれ。おまはんらがやってくれなんだら困るねん」

若い頃とえらい違いや。けどそう言うてもろたんで、師匠、私「まめだ」はよくやらせてもらってますよ。秋の噺ですから季節限定ですけど。

昨年は創元社の「米朝落語全集・増補改訂版全8巻」の編集にも関わらせてもらいました。米團治君と二人で一生懸命やらせてもらいました。二人とも体調を崩しながらもなんとかやり遂げました。うちの師匠の「上方落語を後世にしっかりと伝えたい、残したい」という使命感というか執念を、私は肌で感じてましたから、ええ加減なことはしませんでしたよ。ちょっとは恩返しができたかしら。

あの夜、師匠が病院から武庫之荘の自宅へ帰りはった時、私も車で後を追うようについて行きましたが、もうマスコミが家の周りに取材に来ていまして、その数はどんどん増えて行きました。まだ発表してないのになんでわかるのか不思議でしたね。病院にスパイが居てたんかな? 私の自宅や携帯へも新聞社から電話は入ってくるし、ことの重大さがひしひしと伝わってきました。

米朝事務所からは「明日、記者会見するから今はなんにも言わんといてくれ」と言われてるし、取材の電話にも出られず、沈黙するしかありませんでした。

午後10時過ぎ、米朝事務所からマスコミ各社へFAXが送られたようです。直後にテレビでニュース速報が出たり、新聞の号外も出たそうですね。その時に思いました。ああ、来るべき時が来たんやな、と。

そのうちに病院には間に合わなかった他の弟子も集まってくる。人はどんどん増えていきました。私は車でしたから飲めませんでしたが、飲める連中は飲むし、はじめはシーンとしてた座が、師匠の想い出話でだんだん盛り上がって行きました。そんな時は必ず誰かが師匠をしくじった話が出るものです。そのうちに爆笑に次ぐ爆笑。その笑い声は、家を取り囲んでるマスコミの人たちにも届いたことでしょう。ほんと陽気な一座でした。きっと師匠の耳にも届いていたと思います。そして喜んでくれてはったと思います。じめじめしてるより、そのほうがいいですから。

師匠、大往生でしたね。人間国宝、文化功労者、文化勲章……。あらゆる名誉を手にしはりましたが、そんなことは鼻に掛けるでもなく自然体でした。我々弟子の誇りでありました。やるべきことはすべてやり遂げはりました。ご自分ではまだまだやりたかったこともあるとは思いますが、我々落語に携わる者にとっては充分過ぎるものを残してくれはりました。

師匠が一番苦労されたこと。戦後、噺家になることはなったが、先輩師匠連中は次々と亡くなって上方落語は滅びたと言われてしまう。東京落語の資料はあっても上方落語の資料はない。やりたいけどやれない状態でした。それをいろんな形で上方落語を復活して残してくれはって、我々がそんな苦労をしなくてもよいようにしてくれはりました。我々は「資料がない」と言わなくていいのですから。それも米朝一門だけでなく、誰でも触れることができるのです。ま、我々弟子はプラスアルファも教えてもらってますが。……ちょっと自慢するね。

お酒が好きな人でした。それも必ず日本酒。家にプレミアム焼酎「森伊蔵」が何本もあったのに見向きもしなかった。要らんのならくれ、と言うてもくれなんだ。

酒というと六代目笑福亭松鶴師匠のイメージが今でもありますが、なんのなんの。生涯に飲んだ酒の量はうちの師匠のほうがはるかに多いでしょう。

あれだけよく飲んでしゃべった人が、病状が進むにつれてだんだん飲めなくなって、しゃべれなくなってきましたが、私に最後にかけてくれた言葉はこれでした。

「また一緒に飲もうな」


☆追記☆ 2017/3/19

2年前、うちの大事な国宝、そして私の師匠である桂米朝が旅立ちました。その1ヶ月後に私が書いた追悼文です。メルマガを送っている皆さんには読んでいただいたはずです。

あれからまる2年。あっという間ですね。今日は三回忌。うちの師匠は神道なので、二年祭と言うらしいです。姫路の兵庫県立歴史博物館でいろいろとセレモニーがあります。私も参加します。お墓参りもしてきますね。

写真は最晩年に米朝宅で撮ったものと、2002年、文化功労者になった直後のツーショットです。

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