じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 桂枝雀追善(日経ネット・アーカイブス)

<<   作成日時 : 2017/08/13 20:43   >>

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≪桂枝雀追善≫ 〜2005年4月29日付・日経ネット「第58回京の噺家桂米二でございます」より〜

仲間内ではみんな私のことを「じーやん」と呼びます(さすがに後輩には居ません)が、最初に私をそう呼んだのは今年七回忌を迎えるあの桂枝雀師匠です。一門に「米」の字が付く人間は多いけど「二」が付くのは私だけだからなんですが、最初はへんな感じでしたねぇ。オレは年寄りやないで……。

桂枝雀は私の(年とキャリアの離れた)兄弟子です。兄とはいえ、とてつもなく大きな存在でした。私はこの世界に入る前、高校時代からよく聴かせてもらいました。枝雀を襲名される前、小米の終わり頃からのことで、聴いた回数はうちの師匠、米朝より多かったほどです。憧れの人でした。

本当に落語の好きな方で、あれだけたくさんお稽古をするという噺家は東西を通じて誰も居ないでしょう。我々おとうと弟子の落語も舞台袖でずっと聴いていて、よく「アッハッハッハーッ」と笑っておられました。「間」が良かったら面白いと思っていただけたんでしょうねぇ。

小米時代の落語はどちらかというと地味な存在でした。ところが枝雀になった途端、派手で陽気に動き回る芸に変わりました。人間、そんな簡単に変われるもんじゃありません。努力は並大抵ではなかったでしょう。あっという間に全国各地を独演会で飛び回る超ビッグな噺家になっておられました。

私はよくその恩恵に預り、「桂枝雀独演会」で日本全国を回らせてもらいました。枝雀師匠とうちの国宝のおかげで、私は落語での全国制覇をほぼ成し遂げました。あと行っていないのは青森県と沖縄県だけなんです。(両県の方、どうか呼んでくださいませ)

桂枝雀の凄さは関西を離れて地方へ行ったほうがよく分かります。大阪や京都はホームグラウンドですから、お客様も枝雀師匠の芸に馴染みがあるのですが、生で聴く機会の少ない地方へ行くと全然違うのです。

出囃子が鳴って独演会の幕が開きます。最初に前座が出て雰囲気を作り、次に東京で言う二ツ目クラスが出ます。ここまではフツーの落語会なんです。で、次にスーパースター桂枝雀が登場。大歓声に包まれ、枝雀が発した言葉、仕種、表情、その一つ一つにお客様の爆笑が返って来るのです。関西と違って、いわば免疫ができていない地方のお客様は、全員が枝雀病にかかってしまって、もう苦しいぐらいに笑い転げるわけです。

もっと凄いことがあります。その後へ私、桂米二が出るのです。これ、たいへんなんですよ。陽気元気、コテコテ枝雀の後へ、薄味の京風お吸い物みたいな私が出るのですから……。(落語会は私の後に枝雀師匠がもう一席)

たいていは仲入り(休憩)が入って、その後に私の出番がありましたが、たまに時間の都合等で枝雀師匠のすぐ後に出ることもありました。

噺家が交替する時には出囃子が流れています。今、出ていた噺家が作った空気はその間にリセットされて、次の噺家が自分の空気を作り出すまでほぼ真っ白な状態になります。フツーは……。でも枝雀後はそうじゃないのです。落語のサゲの瞬間まで客席は爆笑の渦に巻き込まれています。枝雀師匠が降りて来られると笑いこそ納まりますが、その空気はまったく消えません。客席は余韻に包まれてザワザワザワザワ……。そこへ私が、

「しばらくの間お付き合いを願います……」

そんなもん、誰が聴いてくれますかいな……。客席が枝雀病から全快するのに、時には10分以上もかかります。桂米二の空気も何もできないまま持ち時間終了……なんてこともありました。ですから私にとっては仲入り様々でしたねぇ。その間になんとか客席は平熱に戻ってましたから。

それだけ凄かった枝雀師匠。今も人気は絶大なものがあります。只今、全国あちこちで「桂枝雀七回忌追善落語会」が開かれています。いろいろゲストを招いての思い出話、そしてトリは枝雀落語のビデオです。たくさん残された映像の中から一つ、でっかいスクリーンで見てもらうわけです。

先日、大阪で米朝一門のホームグラウンドとも言うべきサンケイホールで追善落語会が開かれました。前売券は即日完売。昼夜2回超満員、3千人近いお客様は皆さんそれぞれが改めて枝雀落語を堪能されたことでしょう。ビデオやDVDでいつでも見ることはできますが、一人で見るより大勢の枝雀ファンと一緒に見るほうが盛り上がります。たくさん笑えます。

ゲストも多彩で、引退された上岡龍太郎師匠も出演されました。人前にお出になることは滅多にないのでしょう。

「これだけブランクがあると言いたいことが思うように言えへんねん」

自ら天才と名乗っておられた方もリタイヤされるとこうなるんですね。恵まれない現役の噺家にもっと仕事を……。

その上岡師匠が作詞をされた枝雀師匠を偲ぶ「花・酒・唄 あなたは今も」という歌を佐川満男さんがしみじみと歌われた時には、私も涙が止まりませんでした。

人間国宝桂米朝、そして笑福亭仁鶴師匠も落語で出演されました。枝雀師匠のすぐ下のおとうと弟子といえば、ざこば兄さんです。高座で思い出話が尽きません。とうとうざこば兄は泣き出してしまいました。ま、いつものことと言えばそうなんですが、久々の号泣でした。ざこば兄が高座から舞台袖を横目で見たその先に上岡龍太郎師匠が座っておられました。大きなハンカチでしきりに目を覆っている上岡さんの姿を見て、「もらい泣きしてくれてはる」と大感激! ざこば兄は余計に涙が止まらなくなったのでした。

終演後、楽屋でざこば兄はそのことを上岡師匠に言うたそうです。それを聞いた上岡師匠はおっしゃいました。

「ボクね、きつい花粉症になってしもて、ずっと鼻と涙が止まりませんねん」

最後は大笑いした追善会でした。枝雀師匠もあちらからこの様子を見てきっと大笑いをされたことでしょう。あの「アッハッハッハーッ」という笑い声は今も、そしてこれからも我々みんなの耳に残ってますもの。


☆追記☆ 2017/8/13

今日は私の兄弟子であった二代目桂枝雀師の誕生日です。昭和14年(1939)生まれなので、今生きておられたら78歳ですね。亡くなったのが還暦の齢、59歳でしたから、今の私と全く同じです。まだ私は死なないと思いますが……。

これは昔、私が日経ネットで7年間連載していた「京の噺家桂米二でございます」に書いたもので、本には入らなかった分です。改めて読み直して私が思ったことはこれです。

「ブログで使えるやん!」

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写真(1)は九州旅公演でのスナップ。宮崎駅です。たぶん今から24年ほど前。(2)は東北旅公演。福島県のペンションにて枝雀夫人の枝代さんも一緒に。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
そうでしたか、8月13日は枝雀さんの誕生日でしたか。うちの父といっしょでした。亡くなったのは1998年ですか?うちの母といっしょでした。私はもう60歳を超えてしまいました。時々、米二さんのブログ読んでいたのですが、さっき、自分のブログに、落語会の事を書いて、こちらに来たら枝雀さんの事が 書いてあって、恥ずかしくも コメントさせていただきました。枝雀さんは史上最高の落語家さんでした。お盆でもありますし、又、私を笑わせてください。ありがとう!最高!
かかと
2017/08/15 13:55
人には、それぞれ役割が与えられているという事を、考えずにはいられません。
58歳になりました。才能にあふれ、しっかりした精進努力をされ、あっち側に逝かれた方々と比べて、わが身の、まあ情けない事。
しかしまあ、何かあるんでしょうね、生かされてるんやから。
やっぱり、師匠の文章には心があります、泣かされます。
taka-me
2017/08/15 17:31
亡くなったのは1999年4月19日でした。密葬だったので、私は火葬場で見送らせてもらいました。
じーやん
2017/09/04 07:58

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