じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 月亭可朝は一番弟子? 二番弟子?

<<   作成日時 : 2018/04/23 11:17   >>

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桂米朝の一番弟子はこの方だと思ってました。以前は。今、上方落語協会も米朝事務所もホームページの落語家系図を見る限り、二番弟子ですねえ。先月亡くなった月亭可朝師匠のことです。

一番弟子になっているのは桂米紫師匠。もちろん先代の三代目で、20数年前に亡くなってます。

このお二人、桂米朝の子飼いの弟子ではありません。前歴があります。米紫師は漫才や腹話術師として活動しておられたので、その芸歴を含めたら桂米朝の芸歴とあまり変わりません。可朝師は三代目林家染丸師匠の弟子でしたが、人間的なしくじり(噂では女性関係)で破門され、うちの師匠を頼ってこられて弟子になって、桂小米朝を名乗られました。その後、月亭可朝に改名された訳です。

米朝の子飼いの弟子は枝雀、ざこば以下の我々直弟子ということになります。はじめから米朝の下で修業してます。ですから、同じ弟子でもちょっとニュアンスが違うのです。我々は住み込みの内弟子でしたが、このお二人は住み込みではなくて通い弟子です。

ちなみに現在、内弟子はほぼ絶滅しました。通い弟子ばっかりです。うちの弟子もそうです。主に住宅事情で。内弟子に部屋を提供すると、私が家を出ないといけない……。

昔は月亭可朝、桂米紫の順番で載っていた系図もありました。今はその逆。結局、どっちが一番弟子なのかよくわかりません。なんでこんなことになったのか?

お二人が桂米朝の弟子になったのは昭和36年(1961)だと思います。フリー百科事典ウィキペディアによると、米紫師が弟子入りしたのは昭和33年(1958)になっています。これは間違ってると思うけどなあ……。

当時、腹話術師であった米紫師匠が「噺家としてやっていきたいので弟子にしてください」と桂米朝のところへお願いに来られました。その時、うちの師匠は、

「漫才とか腹話術で、今までお世話になった師匠にちゃんと挨拶してきたのか?」

まだしてないと聞いて、

「ちゃんと挨拶してから来なさい」

と言うて帰したそうです。筋の通ったことを言うた訳ですな。それにどれくらい日数がかかったのか知りませんが、かなり長期間だったようです。

ここだけの話、米紫師匠は何をしても時間がかかる人でした。電話が長いのでも有名で、昔、10円玉しか使えなかった公衆電話から私が電話して、米紫師匠の話を長々と聞いているうちに10円玉がなくなって、途中で電話が切れたことがありましたっけ。普通の人なら1分で済む話も10分くらいかかるんです。

話を戻します。要するに米紫師匠の弟子入りは保留となった訳です。そこへ「出てきた男」(わたくし「嘆きのボイン」より「出てきた男」のほうが好きです)が後の可朝師匠。染丸師匠から破門されて、うちの師匠を頼ってきはりました。

さすがうちの師匠は男気があります。染丸師匠のところへ挨拶に行って「やめさせてしまうのは惜しいと思うので、うちの弟子にしてもかまいませんか?」と。染丸師匠はこんなことをおっしゃったそうです。

「あいつ、わしの手に負えんねん。面倒見たってくれ。頼むわ」

という訳で弟子入りが認められて、桂小米朝となりました。そこへ遅れてきた米紫師匠。「きちっと挨拶を済ませたので弟子にしてください」と。で、弟子になったのですが、もう可朝師匠が弟子として居てはったという訳です。

つまり、弟子入り志願は米紫師匠が先で、実際に弟子になったのは可朝師匠が先。さてどっちが一番弟子でしょう?

曖昧なまま時は流れて行きました。うちの師匠、桂米朝が紫綬褒章を受賞しました。昭和62年(1987)のことです。盛大に授賞パーティーが開かれました。その後、師匠は帰宅しましたが、ほとんどの弟子はあるスナックで飲み続けておりました。その時、こんな話題が出たのです。誰が言い出したのか今となってはわかりません。

「ところで、可朝兄ちゃんと米紫兄ちゃんはどっちが一番弟子やねん?」

それから、この場で一番弟子を決めようということになったんです。さあ、それからみんながいろんなことを言い出しましたが……忘れました。結局、年齢とか芸歴とかも考えて、米朝一門として、桂米紫を一番弟子にしよう、という結論になりました。但し、みんな酔っぱらってましたよ。それに、うちの師匠はその場に居ませんでしたよ。

それまで私は可朝師匠が一番弟子と思ってました(若い頃に見た系図がずっと目に焼き付いてました)が、その日から覆ることになったんです。ちょっとした事件ですよ。私も酔っぱらってましたが……。

めでたく一番弟子も決まり、その長い長い二次会もお開きになって、みんなが店を出ようと立ち上がった時、可朝師匠がぼそっと言いました。

「けど、ほんまはわしが一番弟子や」

みんな、こけそうになりました、とさ。

今となって思いますね。どちらが一番弟子なのか、うちの師匠はなんで決めてくれなかったんでしょう? みんな故人となり、もう永遠の謎であります。

明日24日(火)、福島の八聖亭で(一番弟子)可朝師匠のお別れ会が開かれることになりました。一般の方も参列できるそうですよ。


写真は2010年、うちの師匠の誕生日に珍しく可朝師匠が来られた時のものと、参議院選挙に立候補した時の選挙ポスター。うちの師匠宅のガレージに無造作に放り込んでありました。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
どちらが一番弟子かで揉めてた話は「はい可朝です」「米朝よもやま噺」とかで
何度か聞いたことがあります。「米朝よもやま噺」に横山ホットブラザーズさん
がゲストで出たとき、そのことを話されてて米紫さんが「一番弟子になったんや」
て言っておおはしゃぎしてたそうです。
名無し
2018/04/23 19:40
興味深く貴重なお話し有り難うございます。
権兵衛
2018/04/24 07:54
「桂米朝 私の履歴書」(日本経済新聞社)の年譜を見ると、お二人が入門されたのは昭和33年(1958)となってますね。で、昭和36年(1961)に枝雀さんが入門。
ひょろっぴぃ
2018/04/24 08:45
以前、wikipediaで可朝さんは昭和33年桂米朝門下入門
て書かれてましたが、誰かが勝手に昭和36年に
書きかえてました。
名無し
2018/04/24 15:12

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