じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 第250回記念上方落語勉強会のプログラム

<<   作成日時 : 2018/10/17 09:19   >>

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一昨日、めでたく250回を迎えた「上方落語勉強会」、はみ出すぐらいの大入り満員になりました。ご来場ありがとうございました。

今回は「お題の名づけ親はあなたです〜名作特集」と銘打ちまして、「これは傑作」と作者と演者が勝手に思い込んでる新作落語を並べてみました。みんなこの会で初演、そしてお客様にタイトルを付けてもらった噺ばかりです。鯛蔵君が驚いてました。

「ええっ! この噺、名作やったんですか」

それは失礼やろ、作者の先生に。

このシリーズにまつわるエピソード、思い出話の座談会を間に挟んで、四つの噺を聴いていただきました。

この「上方落語勉強会」ではプログラムに「雑記帳」と題して噺家が駄文を書いています。今は私の弟子が順番に書いていますが、以前は私も書いておりました。250回記念ということで、久しぶりに私が書いてみることにしました。それがこのプログラムです。せっかくですから、全文をここに再掲することにします。結構長いですよ。

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米二雑記帳 その12  2018.10.13

久しぶりの米二雑記帳です。この前の“その11”が2004年でしたから、実に14年ぶりでございます。250回記念ということで、1回だけ復活することにいたします。次回からまたうちの弟子が交替で駄文を書いていくことでしょう。

京都の落語会で(たぶん)3番目に古い歴史を持つのが「上方落語勉強会」です。一番古いのが「市民寄席」。これは昭和32年に始まってます。つまり私と同い年。もう61年も続いてます。つまり私も61歳。

それから東山区の安井金比羅宮で行われている「桂米朝落語研究会」。うちの師匠、桂米朝が亡くなってからも続いております。これは昭和41年に始まりました。そして「上方落語勉強会」。これは昭和47年に始まっています。この三つの歴史ある落語会のうち「桂米朝落語研究会」と「上方落語勉強会」の二つの会の世話役は、かく言う桂米二でございます。偉いなあ、凄いなあ、と誰も言うてくれませんが……。ある意味、貧乏くじかなあ、と思うことも正直ございます。だってしんどいよ〜。誰か代わってよ〜。

「桂米朝落語研究会」は始まってからずっとうちの師匠が出番を決めておりました。演目と出演者を決めるのです。うちの師匠が高齢になってきて、いつの頃からか「お前、やってくれ」と私に言うようになりました。とんでもないことです。自分が初舞台を踏んだ会ですよ。軽々しく引き受けられるはずがありません。「そんなおこがましいことは無理です」と言うのが私の答えでした。でも会う度に言われるのです。「お前、やってくれ」と。師匠の負担が減るのならと、引き受けた次第です。その代わり、私の負担の増えたこと……。

「上方落語勉強会」も初めの頃は桂米朝が関わっておりました。最初の1年間は毎回出演していました。「桂米朝落語研究会」は米朝一門の会でしたが、「上方落語勉強会」は他の一門も出る会という位置付けでした。

初代の世話役は桂音也(おとや)さん。朝日放送のアナウンサーから噺家へ転身した人で、自分より年下の桂枝雀さんに弟子入りしたという変わり種です。独特の新作落語を作ってはりましたね。酒飲みでした。その酒が原因で確か42歳で早世されました。

次の世話役が桂歌之助兄さん。先代です。今の三代目歌之助君の師匠、つまり二代目になります。誰も「二代目」なんて呼んでませんでしたけど。「歌やん」とか「歌こ」とか呼ばれてました。ほん軽〜い兄弟子でしたねえ。先輩でしたが後輩のアップに弱かった。ええ人でしたけど。

この人も酒飲みでした。その酒が原因で劇症膵炎にかかり、危うく命を落とすところでした。それからは酒も煙草もやめて、健康的に生きてはりましたが、55歳で早世されました。

で、その次が私。嫌ですがな、そんな会を引き受けるのは。世話役が代々早死になんて。会館から頼まれた時はきっぱりとお断りいたしました。話はこれで済んだと思ってました。

そんな時にこの文化芸術会館のホールで「桂米朝独演会」がありました。誰がしゃべったんか知らんけど、私が世話役を断ったことをうちの師匠が聞いたんですな。

「お前が引き受けなんだら、誰がやるんや!!」

パワハラですわ。そんな訳で世話役を渋々引き受けることになりました。結果的に、京都の勉強会を二つとも引き受けることになったのです。これってやっぱり貧乏くじでしょ?

それからしばらくして、うちの師匠曰く、

「お前は、いつ死ぬねん?」

そっちを楽しみにしてはったんです。その師匠の楽しみに応えることもなく、桂米二は生き延びてます。56歳になって55歳で亡くなった歌之助兄さんより長生き出来た時はホッとしましたで。いやほんまに。

その私も還暦を過ぎ、体力も気力も若い頃に比べると確かに落ちてきました。そろそろこの大役を誰かに譲ろうか、と考える時期に差しかかってきました。順番で言うと、うちの一番弟子の二乗ということになります。彼も不惑を迎え、若手とはもう言えない世代になってきました。もう譲ってもええかな……とは、やっぱりまだまだ思えません。頼りないわ、ほんまに。もうちょっとしっかりしなさい!!

という訳で、まだしばらく私が貧乏くじを引き続けることにいたします。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○。oO○

さて、今週は天満天神繁昌亭昼席に出演しております。20日(土)までで21日(日)はお休みさせてもらいます。

10月16日(火)〜20日(土) 13:00 〜 (開場 12:30)
天満天神繁昌亭・昼席/(G)天満天神繁昌亭(椅子席)
 地下鉄「南森町」4-B出口・JR東西線「大阪天満宮」JR3出口 3分
16日(火) 演目当日 新幸 八斗 三若 「マジック」ミスター・スキン 壱之輔 米二 「漫談」ナオユキ 団四郎 智之介 鶴二 ←昨日済みました
17日(水) 演目当日 新幸 八斗 三若 「マジック」ミスター・スキン 壱之輔 米二 「漫談」ナオユキ 団四郎 智之介 鶴二
18日(木) 演目当日 新幸 八斗 三若 「マジック」ミスター・スキン 鶴松 米二 「漫談」ナオユキ 団四郎 智之介 鶴二
19日(金) 演目当日 新幸 八斗 三若 「マジック」ミスター・スキン 壱之輔 米二 「漫談」ナオユキ 団四郎 しん吉 鶴二
20日(土) 演目当日 新幸 八斗 三若 「マジック」ミスター・スキン 鶴松 米二 「漫談」ナオユキ 団四郎 右喬 鶴二
前売¥2,500 当日¥3,000  団体、身障者、学生等各種割引有
チケット整理番号順に入場  問:TEL 06-6352-4874 天満天神繁昌亭
※出演者変更の場合あり
天満天神繁昌亭昼席、この週は15日(月)から20日(土)まで出演します。メルマガ登録済の方のみ桂米二がチケットをお取りいたします。
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21日(日)お休みするのはこの落語会があるためです。滋賀県民の皆様、よろしくお願いいたします。

☆10月21日(日) 14:00 〜 (開場 13:30)
第7回びわ湖浜大津寄席/(G)スカイプラザ浜大津7F・スタジオ1(椅子席)
京阪電鉄「びわ湖浜大津」北へ徒歩1分
〒520-0047 滋賀県大津市浜大津1丁目3-32 TEL 077-525-0022(木曜日休館)
「平林」優々 「田楽喰い」米二 「幸助餅」団朝 「風の神送り」米二 糸・益子
前売・予約¥2,500 当日¥2,800 ユース(25歳以下・要年齢証明)¥1,000
全席自由 8/21(火)前売・予約開始
前売券取扱所 大津百町館 奏美ホール イープラス
問&予 TEL 080-8941-7211 江口 ※留守番電話
実行委員会 PCからのメール biwakohamaotsuyose@gmail.com
携帯からのメール biwakohamaotsuyose@docomo.ne.jp
桂米二予約センター PCからのメール g-yan@yoneji.com
携帯からのメール yoneji.k-yoyaku.0906@ezweb.ne.jp
主催:びわ湖浜大津寄席実行委員会  後援:大津市 FMおおつ
スカイプラザ浜大津は、浜大津公共駐車場の上の階にあります。メール予約は実行委員会、桂米二予約センターのどちらでも承ります。
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さあて、月末まで1日も休み無しのハード・スケジュールです。それもほとんど昼間の仕事。ま、元気ですからなんとかなるでしょう。

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コメント(2件)

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師匠の落語会の予定に、私の予定がなかなか合いません。(泣
ちりとてちん
2018/10/20 20:59
桂音也さん、懐かしい名前ですね。本名は確か今井音也さんでした。長くなりますが、思い出を書いてみます。FM大阪の試験放送時代からの番組「上方FM寄席」の司会をしておられましたね。毎週楽しみに聴いて、カセットに録音していました。今も少し残っています。
1960年代後半の試験放送は中之島から放送していて、初期の「上方FM寄席」は確かそこのスタジオで公開録音していました。その頃の録音で最も印象に残っているのは橘乃圓都師匠の「てれすこ」でした。他には「尿瓶の花活」が好きでした。確か朝日放送の「1080分落語会」のレコード(テイチク)に収録されていました。私がよく行っていたのは、1970年代に入ってからのホテル阪神での公開録音でした。実際に聞いて印象に残っているのは、枝雀襲名間もない頃の「日和違い」でした。進化のプロセスをおもしろく説き、身振りも交えていたマクラの強烈な印象を今も覚えています。ちなみにその当時の名ビラの寄席文字を書いていたのは橘右一郎(南部一郎)さんで、部署は違いましたが、私の職場の先輩です。

守口の山ちゃん
2018/10/29 18:22

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