じーやんの拍子の悪い日々・桂米二

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zoom RSS 父の死

<<   作成日時 : 2019/01/07 14:49  

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昨年9月15日、父が91歳で亡くなりました。もう10年以上前から痴呆の症状が出て、醍醐にある同和園という特養老人ホームでお世話になっていました。会話ができなくなって、私が会いに行っても分かってるのか分かってないのか反応のない日もありましたが、最晩年はしきりに私を見て「あー、あー」と声を上げていたので、息子だということは分かっていたようです。

ここ数年、体調は特に悪くなかったようですが、昨年の春頃から食べ物が胃ではなく肺のほうへ入ってしまい、誤嚥性肺炎を何度も起こすようになりました。そろそろ終末を迎えていると担当医の先生から説明もあり、無理な治療はせずに自然に任せることにしました。

それでも食欲はあったようで、暑かった夏を乗り越えた頃になって、同和園から「全く食べられなくなりました」と連絡があり、それから数日で旅立ちました。思ってたよりもずっと父は頑張ったのです。葬儀は家族葬で済ませました。皆さんへのお知らせもしませんでした。だって、ほとんどの人がうちの父には会ってませんから。連休で連日仕事が入っていましたが、なんとか通夜と葬儀には参列できました。

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うちは両親と妹の4人暮らしで、父は関西電力の水力発電所に勤務しておりました。私が小学校3年生の時までは、今の自宅のすぐ近所にある蹴上発電所(日本で一番古い水力発電所)で働いておりました。当時は敷地内に社宅も有り、うちの一家はそこに住んでおりました。

その発電所にもよく出入りしてましたし、五山の送り火は毎年、ここの屋上から見ていました。「妙法」以外は全部見えるんです。ただ一番近い「大文字」は正面ではなくて、かなり斜めの角度から見るので、へしゃげてしか見えません。物心ついた頃からそれを見ていた私は、大文字の「大」は初めからぺしゃんこなんやと思い込んでおりました。ある時、正面からまともに「大」を見た時、びっくりしました。なんやこれ、こんなん大文字と違うで。これやったら左大文字とおんなじやがな

その頃は、家に車がなくてバイクでした。よく後ろに乗せてもらいました。父の背中にしがみついていろんなところへ連れてもらいました。一度、小学校から帰ってから「ついて来い」と言われて、そのままバイクで姫路まで行ったことがありました。書写山円教寺に登ったことを覚えてます。ただ京都から姫路なんて、学校の放課後に行くところではありません。帰りがずいぶん遅くなって、母が「そんな無茶なことするなんて」と怒ってましたね。私は父との良い思い出として残ってますが……。

私が小学校4年の時に宇治の天ヶ瀬発電所へ転勤になり、うちの一家も宇治に住み始めました。宇治には関西電力の大きな社宅があったのです。今、その場所は源氏物語ミュージアムになっています。菟道小学校、宇治中学校、城南高等学校と、私の出身校がみんな宇治にあるのはそのためです。天ヶ瀬発電所、天ヶ瀬ダムもよく遊びに行きました。

その後、喜撰山発電所にも勤務していました。ここは揚水式水力発電所です。喜撰山は平安の歌人、喜撰法師に由来する山ですが、その山に大きなダムをつくって、夜の間に余っている電気で水をダムに汲み上げ、昼にその汲み上げた水を使って発電をするのです。父はこのシステムを自慢するようによく語っていました。でも私は密かに思てました。夜、電気使うんやったら、効率悪いやん……。

父はずいぶん頑固というか、意固地な人でした。私のリクツのルーツはここにあります。今も思いますが、父のほうがもっともっと理屈言いでした。

酒が好きでした。めっちゃ好きでした。考えたらうちの師匠もえげつない酒飲みでしたから、私の身近なところには大酒飲みが二人も居たのです。私がお酒をほんの少し嗜むのはここからでしょう。

酒癖はあまりよくありませんでした。小さい頃、母によく言われました。「今日はお父さん、お酒飲みに行ってはるから気ィつけや」と。帰って来てから、逃げる私を追いかけてきては頭ボーンとどついたり、柔道みたいに足技かけてきて倒されたり……。幼い子にそんなことして何が面白かったんでしょう。今、私は「初天神」でこれを思い出してちょっとだけ使ってます。とらちゃんが向かいのおっさんとこで、この間の晩のことをしゃべるところです。

この父親を見て私は固く決意しました。大人になっても酒飲みにはならんとこ、と……。今になって思うとずいぶん柔らかくてゆるい決意でしたね。

私が米朝の家で修業中に交通事故で足を複雑骨折するという大怪我をしました。完全には治らず、一生足を引きずって歩いてました。もっと凄いのは、その後、バイクで転倒して、同じところをまた骨折してるのです。それも2回。つまり合計3回も同じところを折ってるんです。……最初、治さなんだら良かったんと違う?

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母が早くに亡くなった時、見た目も可哀想なくらいに落ち込んでました。もう立ち直れないのではないかと思いました。それなのに、すぐ再婚しました。それも足の骨折で入院している時に知り合った女性です。あまりにも早い再婚には反対しました。その女性が来てからは実家にほとんど帰らなくなりました。

でもその女性もほんまにええ人でして、しかもうちの父の世話をするだけして、先に旅立ってしまいました。うちの親父、二人も嫁はん見送ってるんです。

その頃から痴呆が出て、施設でお世話になるようになり、最後は同和園へ落ち着きました。ここはなかなか入れないところで、入れただけでも運が良かったんです。ここの介護スタッフの人達には本当にお世話になりました。

私が噺家になると言い出した時、何も言いませんでした。たぶん反対だったと思いますが、好きにさせてくれました。おかけで噺家になれました。でも、もしうちの息子が「噺家になりたい」と言うたら、わたしゃ反対しますけどね。儲からない商売はやめときと。

よく聴きに来てくれた母と違って、父は数えるぐらいしか落語会には来てくれませんでした。たぶん心配で聴いてられなかったんでしょう。母もはじめは同じことを言うてましたが、そのうちに私は客席でケラケラ笑っている母の姿を高座から発見しました。そして、こんなことも言うてました。

「あんたの落語が一番面白いわ。気が合うのかな?」

親子ですから。

その母は58歳で亡くなりましたが、父は91歳まで生き延びました。納骨も済ませましたが、母はお墓の中で27年も待ってたことになります。父が来て、母は父がすっかり老け込んだことにさぞ驚いたことでしょう。(後妻さんは元の家のお墓に入ってはります)

そんなこんなで年の初めのご挨拶ができておりません。ここ数年、家内の両親、そしてうちの師匠の喪中ということがあり、ずっとできてませんな。私は親と言うべき人が6人いましたが、すべて旅立ってしまいました。ですから、もう当分喪中はないと思います。今度は順番から言うと……俺かい?

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明日から、大阪、東京、京都と大事な落語会が続きます。来てね。

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